ぼっち系クズの日常

社内ニートでゆるゆる生きたいと願うパラサイトシングルアラサーぼっちの雑記

過去記事と、もだえるぼく

このブログのカテゴリを見直してみた。カテゴリというよりタグのような運用になってしまったが、自他共にわかりやすく感じられるようになっていれば幸い。

作業の過程で、古い記事も読み返した。

やけに偉そうだったり、明らかに無知を晒していたりで、見ていて死にたくなった。今すぐにでも消したかったけど、あえて残しておく。

こういうのって、消し始めたらキリないからね。それこそ最終的には「ぼくは凄いブロガーと比べたらクズだ。存在価値なんてない。アカウントごと消してしまえ」なんてことになる。で、後々になって後悔してしまうんだ。

それでも消したくなるから困った。そんな時は、こう言い聞かせる。

死にたくなるような記事もまた、自分が過去に書いたものだ。足跡だ、軌跡だ。「思い出」と思って、大切にしようじゃありませんか。そのうち笑って読み返せる時が来ますよ

これで何とか思い留まれる。あるいは、

書いた当時はなんとも思わなかった → 今はハズいと思ってる、これって成長したってことでしょ?喜ばしいじゃない!!

と言い聞かせるのも効果アリ。

……とまあ、こんな感じで、しばしば過去の記事を見て身悶えすることがあります。私だけかな。他のブロガーさんはどうなんでしょ。

もっとも収入を得てるようなガチブロガーであれば、少しでも品質高めるために遠慮なく修正する一択なんだろうけど。私はそこまでガチじゃない。あくまでも楽しい遊びなのです。

あー、こういう言い訳書くところがまた私っぽい。なんていうか質を高める努力を放棄し、あまつさえそれを正当化しようとしてるところが。そうです、ナマケモノです。それでいいじゃありませんか。ガチで頑張りすぎても、どうせ行き詰まって辛いだけ。

ゆるーりと行きましょうや。たまに悶えちゃうのは、定例行事みたいなもんすよ。耐えて。

以上、まとまりのない駄文(駄文なのはいつもだろう?)でしたが、たまにはこういうのもいいさ。

p.s. 悶えるって言葉、調べてみると「死ぬほど苦しむ」ニュアンスだったんだけど、そうだったのか。私は くぁwせdrftgyふじこlp というニュアンスなのだがな。