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ぼっち系クズの日常

社内ニートでゆるゆる生きたいと願うパラサイトシングルアラサーぼっちの雑記

仕事にやりがいを求めるのやめた方がいいかも

人生の 1/3 以上を占める仕事。ここにやり甲斐を見い出せたらどれだけ楽しいことか。

ものづくりという最高の趣味

唐突だが、私の趣味は創作――ものづくりだ。

自由な発想で創造的にモノを生み出す楽しさ、自分がつくったモノに対する愛着、誰かに使ってもらって感想をもらうことや、アクセス数やダウンロード数が増えて承認欲求を満たせることなど、ものづくりにはたくさんの刺激がある。

瞬間的な快楽で言えば三大欲求には敵わないけど、その次くらいに楽しく、気持ちいいことだ。やり甲斐に至ってはダントツ。創作を知らない人は人生の半分を損してると言っても過言ではない。

そんなものづくりを仕事にした、けれど

幸いにも私は、そんな趣味の一つを仕事にした人間。勤め先もお堅くて古い大企業だが、ホワイトと呼べる部類。

私は「充実した給料と福利厚生をもらいながら仕事に没頭する。仕事するだけでいい。それが許される。仕事だってもっとやり甲斐があるに違いない。何と楽しい人生だろう」と期待していた。

期待を楽しめるよう、自己啓発も加速し、プライベートでも勉強や創作をしたり、そもそもの資本となる体や習慣を鍛えたり整備したりもしていた。

けれど新人研修を終え、正式配属されて経験を積んでいくうちに、私は悟るようになった――そんな期待は浅はかだったと。

やり甲斐がある、というかありすぎる

私にとって仕事は、やり甲斐があるというより ありすぎる ものに見えた。

至るところに顔を出す煩雑なルールたち、お客さんや本部や上司からの圧力・プレッシャー・無理ゲー、残業前提のだらしない風土、複雑怪奇な人間関係、そして何より『お金をもらえるレベルの品質』をつくるということ――何もかもが趣味とは桁違いだ。

確かにやり甲斐はある。でも、これらをこなすためには、一体どれだけ費やさねばならないのだろう……?

「今日はがっつりやるぞ」「今日はだるいからもうええわ」「あー、予定より遅れてるな。飽きてきたし今回は見送るか」こんな風に、趣味を楽しんでいた時みたいにマイペースにこなせない、こなすことは許されない。私たちはお客さんの言いなりであり、本部や上司には逆らえず、上から振ってきた無理ゲー無茶ゲーをいかにして達成するかに邁進する戦士でしかない。

やり甲斐とは適量なもの、過剰なのは毒

何事も自分にとって適量だから楽しいのであって、過剰なのは毒でしかない

私にとっての「やり甲斐」を例にすれば、それば私にとって適量な仕事量や負担、ペース配分の下でのみ成立するものである。ここを超えたスケールが押し寄せてきた途端、私にほころびが生じる。やり甲斐が苦痛に、忍耐に、無理ゲーになる。

不幸なことに、私は自分が思っている以上に頭と心身、特に精神が弱いらしい。月60Hの残業に耐えることすらできず、メンタルヘルスのお世話になった。自分の地頭の無さや要領も悪さも判明し、能力的に仕事が無理だと感じることも少なくなかった。

逆に、周囲のみんなはそうじゃなかった。当たり前のように仕事を片付けていく。小学生から見た高校生が身体も頭脳も到底敵わない存在であるような、そんな超えがたい差が見えた。同じ会社に務める人間とはとても思えなかった。みんなにとっては、この程度は過剰ではないのだ、適量なのだ。

仕事でやり甲斐を求めるのはやめる

だから私は仕事でやり甲斐を求めるのはやめる。やり甲斐という名の毒を求めても、その先にあるは破滅だけだ。

やり甲斐はプライベートで趣味で見出せばいい、仕事はあくまでも生きるための手段だ、と、そう割り切ることにする。

逃げるな?情けない?何とでも言え。メンツを気にして、毒を取り込んで死ぬのは私なのだ。メンツごときのために死にたくはない。