ぼっち系クズの日常

社内ニートでゆるゆる生きたいと願うパラサイトシングルアラサーぼっちの雑記

ぼっちが集団に馴染めない本当の理由

ぼっちが集団や組織に馴染めない理由は「コミュ症だから」じゃない。というより、それは表面的な理由の一つでしかない。

もっと根本にある理由、それは 自分のペースで進めないこと ではないか。

一人で過ごすことの蓄積

ぼっちは一人で過ごす時間が圧倒的に長い。

一人。それは心細く、物足りない世界ではあるけれど、同時に居心地が良く、また良くすることのできる世界でもある。ただただ自分のためだけに行動し、蓄積し、反映する。ぼっちは そんな一人相撲、自己満足を積み重ねてきた人種 だ。

ゆえにぼっちは、たとえ自覚が無くとも、多数の自分ルールに縛られ、また自分カスタマイズによって最適化されている。そんな自分が、自分が生きる上での前提、土台、常識となっている。

一人が壊されるとき

そんなぼっちの当たり前が壊されるのが、(特にライフステージを伴う)集団下で過ごすときだ。

集団である以上、そこには自分の世界を越えた存在がある。他の人間そのものであったり、対人関係であったり、空気やルールといったものもあったり――。それでもぼっちは今まで通り動こうとする。そうすることしかできないから。そうなるように積み重なってきたから。

そこで上手く立ち回れるのなら問題はないし、たいていの集団であれば立ち回れる。

しかし、そうできない、いやならない時もある。それは学校だったり、アルバイトだったり、そしておそらく身近な最難関であろう会社だったりするけれども、とにかく、そのような ぼっちの当たり前を適用しづらい集団、いや「ライフステージ」 というものがある。

厄介なのは、これがライフステージであるということだ。よほど恵まれてないか、あるいはドロップアウトしない限り まず通ることになる。ゆえに避けられない

適応できないぼく

わかりづらいので、(ピンと来てもらえるほど身近かどうかはさておき)私の例を少し挙げる。

  • 10年以上ずっと早歩きがデフォ
    • ⇒ たまに誰かと一緒に歩く時に相手に合わせるのがしんどい
  • 小中高大の学校生活で、自分からクラスメイトや同級生に声をかけた経験が数えるほどしかない
    • ⇒ 上司や先輩(そして後輩にさえも!)に相談で声かけるのが辛い
  • 日常生活の大半をパソコン上で過ごし、そのパソコンも自分好みにカスタマイズしている
    • ⇒ 会社のパソコンが遅い、重い、不便すぎてパンチしたいくらいにイライラする
  • メールチャット掲示板ブログなどマイペースに書ける媒体でばかりコミュニケーションしてきた&コミュニケーション量も少ない
    • ⇒ 会話というリアルタイムスピードが要求される神業についていけず混乱する、すぐ疲れる、追いつけなくなる
  • インターネットで、思ったことをとりあえず吐き出すのが当たり前だった
    • ⇒ 発言が軽率、失礼、危ないと怒られてマイナスイメージ荒稼ぎ&投稿権限剥奪されて超不便
  • 生活の大半は学校の授業を真面目に受ける&予習復習テスト勉強受験勉強に勤しむ、だった
    • ⇒ 学校で習ってないこと(対人関係や QCD のきつい仕事)に適応できない
  • 一人で何でもかんでもてきぱきと進めるのが常だった
    • ⇒ 雑談という生産性の無さ、ペース配分の読めなさ、制御の出来なさに嫌気が指す。投げ出したくなる。何なら投げ出す

こんな感じだ。

ぼっち生活に慣れすぎてしまったがゆえに、こいつら弊害に散々悩まされてきた。というか現在進行で悩んでる。アラサーおじさんだというのにまだまだ適応できてないし、できる気もしない。

我慢の問題じゃない

集団に馴染めないぼっちは「甘えだ」「自覚が足りない」「協調性がない」などと非難され、「我慢しろ」と一蹴される。

けれど、そんな簡単な問題じゃない。何年も、十年以上も、あるいはそれ以上、ぼっちという生き方を積み重ねてきたのだ。 文化や価値観と言っても過言ではないレベルで染み付いている。この土台を変えるのは容易ではないし、無理に変えようとすれば壊れてしまうことさえある。

逆のたとえをすればわかりやすいかもしれない。

たとえば、人付き合いが好きな社員に対し、ぼっち風ワークスタイルを強要する。席は個室、チームメンバとはメールやチャットでのみコミュニケーション、オンライン会議も効率の塊で雑談の一つも許されず、子育てに関する理解が皆無で関連する制度も一切無くて、子どもを理由にして休もうものなら非難される――気が狂うんじゃなかろうか。

私にとって、ぼっちにとって、ライフステージにまたがる集団というものは、そういう世界だ。異世界なのだ。

おわりに

以上、今日は「ぼっちが集団に馴染めない理由」についてでした。(ぼっち像がだいぶ偏っている気がしますが 苦笑)

「コミュ症だから」ってのは表面的な理由だと思うんですよね。根本は、長いぼっち生活で積み重ねてきた土台が、ライフステージに立ちはだかる集団向けではないところにあって、コミュ症はそのミスマッチから生まれる一現象でしかないのかなと。