ぼっち系クズの日常

社内ニートでゆるゆる生きたいと願うパラサイトシングルアラサーぼっちの雑記

パターン回避症候群

パターン回避症候群 とは、上達の近道である「パターンを覚えること」を嫌い、自分の地力のみで物事をこなそうとする症候群である。

バッティングセンターを例に

バッティングセンターでカキーンカキーンと打てるようになりたい。どうすれば上達するだろう?

よほど才能に恵まれてない限りは、パターンを覚えようとするはずだ。たとえば、

  • バットはこのように握る
  • 握る位置は、グリップのこの辺
  • 今の握力だと、このサイズのバットが最適
  • バッターボックス上での立ち位置は、この辺がやりやすい

……という感じで、自分にとって最適なパターンを探し、整理し、覚え、反復して慣れる。そうやって上達していく。

ところが「パターン回避症候群」はそれをしない。何のパターンも意識しようとせず、その場のノリや思い付きで動く。思考停止して、ただただ目先の現実に取り組み、楽しむのみ。「そのうち慣れてくるやろ」と楽観視している。

何度も言うが、才能に恵まれていれば、それで事足りることが多い。けれど、そうでなければ こんなに時間かけてるのに全然上達しないっ! なんて事態に陥ってしまう。

なぜパターンを回避したがるか

「パターン回避症候群」はなぜパターンを回避したがるのか。理由は一つ、

面倒くさいから だ。

パターンを身につけるということは、言い換えれば意識をするということ、もっと言えば頭を使うということ。

感覚で、無意識のレベルでサクサクこなすこ快適さを覚えていると、この意識的頭脳的な取り組みは大きな苦痛に感じられる。

だから苦痛を避け、快適さに溺れ続ける。幸か不幸か、人間は適応力順応力の高い生物だから、「いつの間にか勝手に慣れてくれる」ことも多い。成功体験しやすいのだ。

そこに味をしめ、次回も快適さに溺れようとする。

そうやってパターンを回避し続けていたある日、 パターン回避では上達できない壁にぶちあたる。その時点で、素直にパターンを学ぶべきなのだが、過去の積み重ねがそう決断させてはくれない。

「続ければそのうち慣れるだろう」と楽観視、というか現実逃避をして、ただただ不毛な努力を続けるのである。

そしてもう一つ、深刻なのが 老化による適応力の低下 だ。アラサーにもなってくると、頭脳的にも身体的にも色々衰えてくるので、若い時みたいに感覚的行動を物量で押し通すことすらできなくなる。ただでさえパターンは嫌いなのに、この追い打ちはきつい。ますます嫌いになる。

パターンから逃げるな

才能のない凡人は、パターンに頼らざるをえない。だからこそ多くの分野について、理論やプラクティスや体系といった形でエッセンスがパターン化されているのだ。

逆を言えば パターンを身に付けさえすれば 簡単に上達できる、とも言える。

パターンを身に付けるのは苦しいことだ。けれど、避け続けていては上達しない。いつまで経っても上達しないのは、それはそれで苦しい。なら、最初からパターンを選んだ方が賢い。

余談だが、社会人になればパターンに従うことが激増する(といっても多くは規則やルールという名のパターンなのだが)。パターンから逃げてばかりいると、これらが苦痛になり――ひいては社会人生活そのものが苦痛となる。

とあるパターン回避症候群の嘆き

私は典型的なパターン回避症候群だ。

今も社会人生活がとても苦しいし、また趣味でも実力が中々伸びず、すぐに頭打ちとなって楽しみが続かないという弊害に見舞われている。

パターンを覚えればいいと頭ではわかりつつも、ついついラクをして、感覚で行動してしまう。一向に上達しないにもかかわらず、ただただ虚しい舞を続ける。

おわりに

今日は「パターン回避症候群」という造語について取り上げてみました。

p.s. 今見るとネーミングが微妙だなあ。かっこいいネーミングセンスが欲しいよ。