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ぼっち系クズの日常

社内ニートでゆるゆる生きたいと願うパラサイトシングルアラサーぼっちの雑記

老人はなぜ運動しないのか、体を鍛えないのか

運動や鍛錬は健康の母だ。なのになぜ運動しないのだろう、鍛えないのだろう。

それを私は単に「怠け者だからでしょ」と思っていたが、そう簡単な問題でもないのかもと最近ふと思った。

老人の体は思っているよりもずっと弱い

運動不足の人でも、若者であればいきなり走ることくらいはできるだろう。階段を登ることだってできる。

けれど、老人は たったそれだけでも怪我に繋がる ことがある。それほどに体が弱い。老人自身は、そのことを意識的あるいは無意識のうちに自覚している。だから運動や鍛錬をやろうという話になっても、セーブが働いて No と返事する。このセーブは、「滑り台のてっぺんから飛び降りたら危ない」といった直感的判断と同じようなものだ。

たまに無謀にも挑んじゃって怪我する老人がいるけれど、それはそういう危機感に鈍感だったり、「孫がやってるからやりたいんじゃあ!」などとを判断力を一時喪失したり、「昔は運動神経抜群だったから」と調子に乗っていたりするケースが多い(と思う)。

もっとも、私は老人の経験者ではないから事実はわからない。あくまで私の経験に基づく見解。

あ、経験っていうのは、老若男女が参加するスポーツにハマっていたことがあって、そこにいた老人(特に初心者)たちの様子や話から、そうだと思い始めたっていう話ね。

何十年という怠惰の蓄積

何十年という蓄積は非常に重い。なぜおじいちゃんが腕相撲で強いかというと、何十年も生き続けているからだ。何十年という時間の長さ、重みからくる順応の力は凄まじいのだ。

これは長所だけではなく、短所についても同様に発生する。

たとえば何十年と運動をさぼり続けてきたという蓄積。これはこれで重たい。超重たい。もはや性格や価値観のレベルで、簡単に変えられるものではない。

感覚的にこなす力の衰え

若者ならば新しいスポーツや機械の扱いにも簡単に適応できる。が、老人になると、心身も脳も老化しているため、これができない。当たり前にできる適応が、できないのである。となると、あとは意識的に勉強を重ねて覚えていくしかないが、当然その力も衰えている。

老化。それは言うなれば地力という根本的な諸能力の低下である。ハンデとも言える。

このハンデは、若者にはわからない。私も、アラサーになって色々劣ってきたことを痛感して、ようやく分かり始めたくらいだ。たぶん、体験してはじめてわかるものなのだろう。一種の通過儀礼かな。

おわりに

老人は怖いなあ、なりたくないなあ、そんなハンデ背負って長生きして楽しいのかなあ、と改めてネガティブな気持ちになりました……。