ぼっち系クズの日常

社内ニートでゆるゆる生きたいと願うパラサイトシングルアラサーぼっちの雑記

「普通」とは「コンプレックス」なのかもしれない

「普通」ほど曖昧で中身のない言葉はそうはない。

が、この「普通」、使っている当人にしてみれば割と中身が詰まっている。

何が詰まってるのかと考えた時、それは コンプレックス ではないか、とふと思った。

私が「普通」を使う時

私が「普通」という言葉を使うのは 自虐する時 である。

たとえば、こんな感じ。

「普通ならここで挨拶をする。でも私はしない。社内ニートを勝ち取るためには、嫌われる勇気が必要なのだ」

この文は、一見すると「私は普通の有象無象どもとは違い、一歩進んだ存在なのだよ」というアピールや自慢、解説に見える。しかし本心は違う。

私は「普通」を羨んでいる。

「普通」は、不器用な私には手に入らないブツだ。あるいは手に入っても維持できないブツで、捨てるしかなかったブツ。

手に入らない、持ち続けられない「普通」への羨み。これをなくすために、私はあえて変人を演じているところがある。「ぼっち系クズ」なんて名乗っているけれど、私は別に変わり者ではない。ただの不器用が虚しい舞を待っているだけだ。

私にとって「普通」とは、コンプレックスの塊なのである。

おわりに

もちろん人によっては、「普通」がコンプレックスを指さないこともあるだろう。

ただ私の場合、コンプレックスを指していると捉えたら、妙に納得がいくのである。

皆さんはどうですか。皆さんにとっての「普通」とは何でしょう。