ぼっち系クズの日常

社内ニートでゆるゆる生きたいと願うパラサイトシングルアラサーぼっちの雑記

社内ニートが多少勉強したところで道は開けない

社内ニートの中には、危機感を抱いて勉強してる人もいる。けど、正直言ってあまり意味がないと思う。

仕事は小手先の知識や技術だけではこなせない

勉強で身に付くのは小手先の知識や技術だけだ。

一方で、仕事ではそれら以外も必要となる。

  • 腐るほど存在するルールや制度や手順を遵守しなければならないという制約
  • 上司への報連相やチームとの連携といったコミュニケーション
  • 厳しい締切と要求品質

などなど、多数の制約や状況が絡み、カオスになっている。

仕事――お客さんからお金をもらって食べていくということは、それほどに本質的に難しいことなのだ。

だからこそ、学生時代から何年も勉強させられる(それくらいの素養が必要)。忙しすぎて夜遅くに帰ってくるリーマンが腐るほどいる。病だの過労死だのいったことも平然と起こる。

意識高くて知識と技術もあった私

私は、生活習慣をストイックにするほど意識が高く(今はそうでもないので過去形かな)、また知識や技術も社内では人並以上の人間だ。よく「技術があって羨ましい」と言われる。しかし、そんな私は、社内ではトップクラスのお荷物社員である。

もし私が非凡ならば、そもそもこんなところにはいない。起業してバリバリ稼ぐか、年収ウン千万の華やかな世界で生きていけるだろう。逆を言えば、私の知識や技術などたかが知れているということだ。実際、ネットを見れば私以上なんて腐るほどいる。

こんな私が社内で底辺なのはなぜか。一言で言えば 社会人の素養 が欠けているからだ。

上記でも述べたように、仕事では「カオスな状況」に適応する能力が必要である。平たい言葉で言うなら コミュ力空気を読み協調する姿勢理不尽に耐える忍耐仕事は何としてでもこなすという使命感や責任感 などである。

私はコミュ症だし、要領が悪いし、それらをカバーするために仕事のやり方を自分色で染め上げるしかない(会社の非効率的なルールは煩雑すぎてついていけない)し、自分本位だから忍耐力もなければ使命感や責任感も持ちづらい――と、このように、色々と欠けている。

欠けている凡人が多少知識や技術で優れたところで、使い物になどならない のである。

一般論に当てはめてみる

少々強引だが、私の例を一般論に当てはめてみよう。

  • 社内ニートで安住してるような人間は、社会人としての素養に欠けている
  • そんな奴(素養の欠けた奴)が多少知識や技術を身に付けたところで、使い物にはならないぜ?

ということだ。

それでも道を開きたいなら

知識や技術よりも、まずは 社会人の素養を磨くべき だろう。

全然磨けてない私に書けることなんてないけれど、リア充を目指す ことは実践的な訓練になるのではないかと思う。

会社も所詮は人と人の繋がりでなっていて、リア充という生き方はまさにそこを用いるもの。なるほど、リア充という生き方は、やはり賢かったのですね。……と、アラサーになってから気付いても時既に遅し。

逆に、素養を磨く気がないのであれば、潔く諦めるべきだ。素養無き者など、どうせ相手にはされない。

私も諦めている。転職のことは一切考えてない。クビになったら、それはその時考えるだけだ。それまでは今の生活を謳歌させてもらう。