ぼっち系クズの日常

社内ニートでゆるゆる生きたいと願うパラサイトシングルアラサーぼっちの雑記

アラサーになって痛感する、心身の絶望的な衰えについて

興味深い記事があったので便乗する。

私も上記事と同じく、私の身に起こる老化現象や、生き方や気持ちの変化について書いていきます。

風邪を引きやすくなった

たとえの話をしよう。

HPがゼロになると風邪をひく。若い頃はこれが5ポイントはあった。けれどアラサーの今では3ポイントしかない。

1ポイントは割と些細なことで消費する。雨をたっぷり浴びたとか、有酸素運動で10分間汗を流したとか、筋トレをしたとか、二時間ぶっ続けでゲームをしたとか、あとはオナニーしたとか。

若い頃はそれらが複合しても風邪なんてひかなかった。それが今はどうだい?すぐにゼロになるよ。

HPが低下した

このたとえ、個人的にはピンと来るんだけど、いかがでしょうか。

エロくなった

社会人になり、給料が手に入るようになった。手持ちのお金が桁違いに増えた。そこで私がしたのは 風俗に行くこと だった。

彼氏いない暦=女友達いない暦=年齢。高校でも大学でも数え切れるほどしか女子と会話したことがない非モテぼっち。そんな私が、ついに、薄々憧れていたおみ足を、お尻を、おっぱいを堪能できたのである。

私は女(の体)を覚えた。

私の憧れは薄々ではなかった。学生時代を必死に生きていて気付かなかっただけだ。むしろ、青春時代に発散していない分、リビドーが蓄積されていることがわかった。

私の思春期はそこから始まったのだ

身体の回復が遅くなった

私は運動が好き(ぼっちなので一人で遊べる・鍛えられるもののみ)で、よく動いていたものだった。筋肉痛も、擦り傷も当たり前だった。

それでも何ら問題なく生活できていたのは、相応の回復力が備わっていたからだろう。

ところが今はどうだ。前述のとおり風邪をひきやすいだけでなく、明らかに 回復が遅くなっている 体感がある。数日で治っていた筋肉痛が一週間近く続くことも少なくないし、骨へのダメージ疲労骨折みたいにしぶとく残るし、筋を痛めやすくなったし、そもそも腰や膝など回復せず永久蓄積されているダメージもある。

アラサーはまだまだ若いというが、そんなの気休めにもならない。私は泣く泣く運動習慣を捨てた(だからこそこのブログも誕生した)。

未来のために頑張れなくなった

学生の私はギラギラしていた。社会人になったら報われる、一生安泰で楽しく暮らしていけると本気で信じていた。だからこそ苦学生でも頑張れた。

そして私は社会人になり、望みに近い会社に滑り込めて……辛い現実を知った。個人の努力ではどうにもならないことが腐るほどあること、自分のポテンシャルなどたかが知れているということ。それを示すかのごとく、私は仕事で結果が出せず、努力が報われないばかりだった。

昔の自分……彼はとても私には見えない。それほどに私は現実に絶望し、落胆したのだ。モチベーションなんて上がるもんか。考えているのはいつも自己保身。

新たな性癖(ロリコンや熟女など)が手に入った

私は少なくとも大学生の時はロリにも熟女にも興味がなかった。

が、今では少なからぬ興味がある。スカートやデニパンの JS や幼稚園児に目が行くし、老けを隠しきれない熟女の身体にも目がいくし、何ならその熟し具合さえエロいと思う。いつの間に、このような性癖を手に入れたのだろう……?

私の場合、以下が絡むと考えている。

  • 働いてお金が手に入り、アニメやマンガに費やすようになり、ロリを知った
  • 仕事や勉強でネット調査が増え、その過程で 2ch まとめを発見し、ロリコンテンツも読んでみたりしてずるずる認知していった
  • 高校生大学生ばかり見ていた世界を卒業し、それ以外の女性を目にする機会が相対的に激増した
  • 会社では仕事ゆえに コミュ障ぼっちの私でも女性社員と話すことができ、大人の女性に対する愛着や親近感が強化された

同情しなくなった

社会人になってから(今までと比べると)たくさんの人と出会い、現場やチームを見てきた。また、本やネットも読んできた。

理不尽。不運。どうにもならない現実などいくらでもあるのだ ということを理解した。

私は元々心優しく感情移入しやすいタイプ(昔は優しい人間だと褒められていた)だったらしいが、だからこそなのだろう、私は心を痛めた。落ち着かなかった。けれど、私がそうしたところで世の中は何も変わらない。

私は学習した。そんなものは放っておけ、自分のために生きるんだと。仕事で追いつめられて四の五の言ってられなくなったこともあり、私は耳を塞ぐようになった。

今では、そういう事例を見ても何も響かない。

割り切りやすくなった

「ひょっとして私は天才かも」「努力すればもっとできる」とうぬぼれていた時期が、私にもありました。

いざ、社会人になって、努力しなければならない環境に陥り、努力ではどうにもならないことが山ほどあることを痛感し、また自分より凄い人が腐るほど存在することもわかると、頑張るのがバカバカしくなった。

努力しても報われない。なら、ほどほどに生きようじゃないですか。

私は楽な道を選ぶようになった。何事もほどほどに割り切るようになった。だって楽だから。どうせ報われないから。「やってみなきゃわからない?」 それは今までやったことがなくて、かつ才能を持つ者にのみ当てはまる台詞でしかない。現実はそんなに甘くない。

私はこれからも割り切り続けるだろう。

ぼっちでも平気になった

「便所飯」という言葉があるように、「ぼっち」というステータスは学生にとって死活問題だった。

学園という環境がそれを助長するのだろう。非ぼっちのリア充がそばにいて、多数いて、眩しく見えていたところか眩しすぎて目が痛くて涙が出てくるくらいで、そもそもそういうのを是とする空気やカーストも存在していたからね。

しかし、社会人になると状況は一変する。

ぼっちが当たり前になる。一人飯は普通。飲み会を断るのも普通。むしろ一人を好み、無用なコミュニケーションを控える人の、なんと多いことか。コミュ症や、コミュ障だって珍しくない。

同類は他にもいたんだ とわかる。

ここでは「ぼっち」も当たり前なんだ とわかる。

そんな環境で、1日8時間は過ごすのだ。やがてぼっちでも平気になる。

もちろん、内には寂しさや孤独を持っているけれど、少なくとも高校大学時代のような、妄信的なぼっちヘイト主義には陥りにくい。

おわりに

今回は有名ブロガー「ピピピピピ」さんの記事に便乗してみました。

私はこの程度(しかもアラサーというよりは社会人あるあるになってる気がする 苦笑)しか書けませんでしたが、ピピピピピさんはもっとたくさん書いておられます。しかも内容も深い。有名ブロガーは凄いなと思いました。

私にできることは、便乗して楽しむことだけです。