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ぼっち系クズの日常

生涯社内ニートを目指すアラサーぼっちの日記

「学生時代は遊んでおけ」の本当の意味

社内ニート 仕事 戯言

それは 「地頭を鍛えておけ」 だと思う。

Why?

学生時代に多少勉強して知識を付けたところで、社会に出ればほとんど役に立たない。

なんたって社会人になれば 膨大なインプットが生じる からだ。

具体的に言うと。新書すら読むのもを躊躇う学生は多いけれど、それを何冊も読んで理解しなきゃいけないレベルのインプットが待っている。しかも要求水準(理解度の深さ)もきつければ、締切もきつい。たとえるなら「一週間以内に世界史の今回の中間考査で90点取ってね」みたいなもの。そんな無茶ぶりが日常茶飯事。

ここで重要になってくるのが 地頭(根本的な頭の良さ) だ。限られた時間で、要点を抑えて理解――それも仕事という実作業で応用できるレベルの深さで理解するためには、地頭が必要なのだ。

地頭は人付き合いで鍛えられる

この地頭とやらは、遊ぶことで鍛えられる。もっというと 人付き合い だ。

人付き合いは非常に高度で知的なコミュニケーションである。未だに人工知能でまともに再現できてないことからも、いかに高度であるかがわかるだろう。

そんな高度な遊びを何年も積み続けることで、人の地頭は鍛えられていく。逆にここを怠れば、ほとんど鍛えられない。目先の知識が増えるだけで、根本の土台は弱いままだ。

致命的な差

人付き合いをしたか、してないか。この差が何年も積み重なると、致命的な差になって現れる。

たとえば入社当時は成績や知識でリードしていても、すぐに追い抜かれるし、そもそも仕事という名の膨大なインプットの波に耐えられない。その結果、無理ゲーだと感じてしまう。

よく「学業秀才は仕事では使えない」みたいな皮肉があるけれど、それは学業秀才の地頭が乏しいからである。逆に、卒業できる程度にしか勉強せずに青春を謳歌してきたリア充に限って仕事もそつなくこなしていくのは、地頭が鍛えられているからだ。

※ちなみに、MARCH 以上の大学に入っちゃうような連中は、そもそも頭の出来が違う(私は教科を絞って受験勉強してもセンター試験で平均点届かなかった)ので、コミュ症であっても地頭は良い。

だから私は社内ニートを目指す

かくいう私は、地頭を鍛えずにここまで来てしまった人間である。

入社当時は頭一つ抜きん出ていたのに、すぐに追い抜かされ、今では同期の中でも底辺。部署内でハブられ、社内ニート気味に生きているのは私くらいだ。

そんな私は、今は自ら社内ニートを狙っている。そのためならハブられることも厭わない。だって、それしか生きる道が無いから。

仕事?ムリだよ。根本的に頭が足らなくて、提示された締め切りではまず終わらない。「月1000万出すからやれ、ただししくじったら月10万ね」と言われたとしてもムリだ。「月10万ね」と言われているに等しいからね。それくらいに、私にとって仕事は無理ゲーに感じられた。

この越えられない壁に阻まれた原因を探った結果、本記事のような結論に至ったというわけである。

思い違いなら嬉しいが

私の結論が間違いだったら、こんなに嬉しいことはない。

けれど、それは無さそうだと今では思う。先輩も上司も「お前とみんなとではそんなに差はないはず」と言っていたし、病院で見てもらっても異常は無かったし(お医者さん「仕事のやり方を工夫しましょう」)、仕事のやり方だって既に工夫しまくってる。それでも無力だったんだから、うん、たぶん、この結論は覆らない。

地頭というものは、たしかに存在するのだと思う。